2015年7月19日日曜日

ワープロ漢字の校正

今日、短歌の同人誌(月刊)の校正をしているという方に話を聞いた。70代のこの女性は「旧仮名遣い」「新旧漢字」「ワープロ漢字」のチェックができるということでこの仕事を引き受けている。ワープロ漢字のチェックというのは初耳なので、何をしているのか聞いてみた。
すると、本来使いたい字がワープロ変換されず、誤って変換されていないかをチェックするとのこと。その一例として「飛驒高山」があるという。この「驒」は、「飛騨」と変換されることが多く、観光ポスターや観光雑誌などを見ても、「飛騨」とされていることが多い。
うーん、「飛騨」は名前なので本来の漢字を使うべきとはいえど、こんなに使われているなら「いいんじゃない」と思う私は、ちょっと若いということか。

この方は「ら抜き」も気になってしかたがないという。今45才の息子さんは、中学のときに、親に対してはきちんと「らを抜かずに」話し、友達同士では「ら抜き」言葉を使っていたそうだ。このあたりが「ら抜き」の出始めのようである。

言葉は変わっていく:フラットな言い方

今日、弱視の子のために、小学校の国語の教科書を拡大して書くというボランティアをしている方から質問があった。「『さあ、バズセッションをしましょう』と教科書にあるのですが、どういう意味なんでしょう。」
そこで、大辞林その他を参考に、「少人数のグループに分かれて意見を出し合ってから、最後にグループごとに意見を発表して全員で討論することのようですよ」というと、今度は
「この頃はなんでアクセントを置かない『フラット』な言い方がはやっているのでしょう」という。
特に、「クラブ」、「ライン」などが気になるようだ。70前後だと思われるこの方によると、「自分の生まれは佐原(平坦にアクセントを置かずにいう)だが、佐原以外の土地に行くと「さ」にアクセントを置かれるという。自分から遠いものは、前にアクセントが置かれる傾向があるとのことだ。
その方は、現地では「なごや」と割合に平坦に言うのに、現地を離れると「な」にアクセントが置かれる、場所だけではなく、「昭和」時代にはフラットだった「しょうわ」が、この頃は「しょ」にアクセントが置かれているのをよく耳にする、と例を挙げる。ということは、「クラブ」「ライン」は身近なものゆえに、平坦に言われるということになる(もっともこの2つは、前にアクセントがあるときと、フラットに言うときとは違う意味ですが)。
だんだん年を重ねていくと、慣れ親しんだ言葉が違うふうに発音されるのは、気になるものです。



2015年7月12日日曜日

言葉は変わっていく。「該当」の読みは「がいとう」です。

今日、中学生の期末試験(英語)の答え合わせをした。

4択の選択肢のなかに「該当なし」という項目があった。生徒が「かくとうなし」と読んだので「がいとうなし、でしょ」というと、「え? 『かくとう』です」と言いはる。おまけに、「世代の違い」だとも。すぐに辞書を引く子なのに、そうしないところを見ると学校ではこの読みがまかり通っているらしい。

確かに、セミナーなどに出席したときに講師が「該当」を「かくとう」と読むのを何度か聞いたことがある。今のところは「かくとう」では漢字変換されず、大辞林等の辞書の読みも「がいとう」しかない。この読みは間違いのはずだ。

とはいえ、本来の読みが置き去りにされ、慣用読みが定着しているものはいくつもある。輸入(ゆにゅう)、捏造(ねつぞう)、漏洩(ろうえい)、間髪を入れず(かんぱつをいれず)、消耗(しょうもう)、新しい(あたらしい)、独擅場(どくだんじょう)、情緒(じょうちょ)、蛇足(だそく)、固執(こしつ)等々。

「かくとう」と言いきる自信には拍手を送るが、今のところ、「かくとう」という読みは慣用読みには該当しないようだ。それでも、いつかそういう日が来るかもしれない。
「言葉は多数決で決まる」---井上ひさしの言葉が耳に残る。



tryという言葉

最近講師たちの間でよくtryという言葉が話題になります。
学校でtryの意味は「挑戦する」だと習ったと、中学生が言うからです。最初に一人の先生がそう言い始め、その後、いろんな学校の生徒に聞いてみると、みんな「挑戦する」と訳していることに気がつきました。
tryという言葉を、英英辞書でひくと、 「自分のやりたいと思ったことに対して、その実現に役立つと思う行動を、自ら起こすこと」とあります(If you try to do something, you want to do it, and you take action which you hope will help you to do it. (c) HarperCollins Publishers.)。
確かに挑戦ではあるかもしれません。でもちょっと、挑戦レベルが低いなー。「~しようとする」くらいのときが多いかな。

2015年7月11日土曜日

高校生の英語の教科書はすごい!

いろんな高校の学生が学んでいる英学塾では、多くの英語の教科書を目にする機会がある。そしてその内容の素晴らしさに感嘆する。

先日、「万人のためのデザイン」(2015年刊)--過去半世紀にわたる「ユーザー中心設計」の進化、発展を物語るデザインプロジェクトを120点近く掲載した本ーーを読んでいると、それら素晴らしい製品がクーパー・ヒューイット国立デザイン博物館に展示されているという記述があった。

「ん?クーパー・ヒューイット?」なんだか聞いたことがあるぞ、と思い出したのが、高2生の使っているMAINSTREAMという教科書だ。

教科書の”Design for the Other 90%"という章に、社会的課題を解決するのにデザインの力が重要だという話が載っていた。そこでは、途上国で川や井戸から水を運ぶ女性や子どもが首や脊髄に損傷をうけることが多いという問題を解決するために、「Q ドラム」という、引っ張って水を運ぶことのできるドラム缶(プラスチック製)が紹介されていた。そしてそのQドラムが展示されている場所が、クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館だと書いてあったのだ。すごい偶然!

さらにその数日後、Elementという教科書を高3生と呼んでいると、gritについて紹介された章があり、Angela Duckworthという、ペンシルバニア大学の心理学者による、「成功する人たちには知性に加えてGRITがある」という研究結果が載っていた。

「ん?グリット?ダックワース?」。思い出した。ちょうど去年、社会人の人達と英語の勉強をしている際に、TEDでDuckworthのプレゼンを聴いたのだ。そしてgritについてみんなで話し合った。このTEDでのプレゼンは2013年4月のもの、それがもう教科書で紹介されている!すごいなーと感心した。(ちなみにgritは目的を定めてやり続ける力のこと。塾生に聞くと、学校の先生はこれを「気骨」と訳されたそうで、うーーん、最近「気骨」って言葉はもうあんまり聞かないねーと話したのでした。)

社会情勢、経済、政治、福祉、環境問題、物語、文化、文学、音楽、絵画、化学、自然、テクノロジー・・・。高校の英語の教科書の内容の多様性には目を見張るものがある。高校生は英語を勉強するのが精いっぱいで、なかなか内容の深い部分までは理解することができないけれど、少しでも余裕があれば、それを糸口に興味を広げていってほしい。(こんな素晴らしい教科書、誰が作っているのでしょう?)

勉強する姿勢

英学塾は個別指導、それも完全な一対一。一人の生徒に一人の先生、いえ先生というよりも担任が、塾生の進捗状況に応じた授業を展開します。だからこそわかるのが、塾生の勉強に対する姿勢がどんどん変わっていく様です。
去年7月に初めて塾にやってきた高校生。英語が大嫌いで、中一からほとんど勉強しないままここまで来てしまった、とかなり深刻な顔つきでした。授業をしても、素直に必死に聞いています。でも、そこまででした。授業を受ける姿勢が受動的です。
ところが一年たった今、英語の力がどんどんついてきているのが、彼の授業への取り組み方からわかります。授業中、鉛筆を握りしめ、わからない言葉や表現が出てくると、すぐにノートに書き出します。「今先生の説明はよくわからなかった」「今の説明は・・・ということですか」と、質問が飛び出します。手を使い、頭を使って、授業を受けているのがわかります。能動的な姿勢に完全に変化しています。辞書も頻繁にひくようになりました。自習に来る回数も増えています。
ここまでくればもう大丈夫です。英語の成績は、というと、まだ希望大学の合格圏には入っていませんが、この姿勢でこの夏休みを過ごせば、どれほどの力がつくでしょう。

英学塾では塾生の勉強への姿勢が変わるかどうか、それを成果の尺度にしています。
もちろんテストの点数や英検の合格、模試での偏差値など、英語力を測る尺度はたくさんあります。でもそれよりももっと確実なのは、受け身な姿勢が能動的な姿勢に変わったかどうかです。
そしてこの尺度は英語だけではなく、あらゆる取組にも通用する、将来にわたって大きな財産になっていくものだと、私たちは思っています。